シルバーウィーク2日目
運動会の翌日 9月20日(日)は、売木村の隣り 阿南町新野の新栄山に安置されている『即身仏』を訪ねました。ひとことで言えば、歩く活動なのですが。
ミーティングで即身仏についての知識を深めた後、荷物を準備して、10時ちょっと前にセンターを出発!前日の運動会の疲れが残っているのは承知の上で、出かけたのには理由がありました。日本国内に現存する即身仏は十数体あり、その中の一体が新野に祀られている”行人様”で、年に2回行われる御開帳が、この日だったからです。
気持ちの良い秋空の下、売木村内を歩き、新野へと向かいます。途中、アケビの実を探したり、笹舟を作っては川に流し、その行方を見守ったりしていた学園生たち。
まず目指すのは瑞光院というお寺。行人様(今から約380年前の生まれで、本名を久保田彦左衛門という)が最後に身を寄せた所です。ミイラと同一視されがちな即身仏ですが、全く別なものだそう。他力(人工的)あるいは偶然(自然)にその姿になったものがミイラであり、自力でその姿になったものが即身仏。即身仏は厳しい修行の末に体内から脂肪や水分を落とし、腐敗雑菌の発生を防ぎ朽ちない身となり、土の中に入って断食死し、その数年後に掘り出されたものをいうのだとか。今は新野方面に行く時にはトンネルを通りますが、この日はトンネルができる前に使われていた売木峠(旧道)を皆で歩くことに。センターから4~5km歩くと、少しずつ疲れを感じてきた様子。
「もうどれくらい歩いたのかな?」「あと何kmくらいで着きますか?」と呟きながら、先頭集団から少し遅れ始める子たちも。しかし、行人様が続けた厳しい修行に比べたら何のそのと、頑張って一歩ずつ足を前へ前へ。行人様が即身仏になるために1日に食べたのは湯のみ茶碗にそば粉一杯だけで、銅の傘を被り、鉄下駄を履き、鉄の杖を手に全国を7回も歴訪しながら寺社仏閣を訪ね歩くという厳しい修行を17年間続けたという話は、学園生たちの心に強く残った様。
売木峠のてっぺんで休憩。飴を舐めたり、先週収穫したりんご(つがる)を丸かじりしたりして、体力を回復。
峠を下り、新野の町なかを歩きます。足取りが重い子もいましたが、12時20分頃、瑞光院に全員到着。お楽しみのお弁当タイム!一日にそば粉一杯ではなく、一食に大盛りのお弁当です。行人様の凄さを感じながら、一心不乱に食べる子どもたちでした。食休みをした後、新栄山の行人堂へ向かいました。距離はあと2、5kmほどですが、ずっと上り。だんだん縦長の列に。
ようやく行人堂に辿り着くと、付近には屋台などが出る賑わい。地元の人々だけでなく、遠方からも多く訪れていました。行人様が瑞光院の裏山にある新栄山を最後の修行の場として、山頂に穴を掘って内部に石室を作り、その中で断食死するまで読経を続け、即身仏になったとされる場所です。いよいよ、行人様とのご対面!
300年以上経ったとは思えないお姿で、今も生きているかのように座っていらっしゃる行人様を拝む学園生たち。横に飾られていた鉄の杖や鉄下駄を手に取り、「重い!」「こんなに重い物を持ったり履いたりして歩いていたの?」と驚きの声をあげていました。武士であったといわれる行人様が修行僧となったのは、ある時、山に薪を取りに行った留守中に家が火事になり、一瞬にして最愛の妻と子どもを失ったからだそう。深い悲しみに暮れ、この世の無常を感じ、神仏の力にすがることを思いついて修行僧となり、厳しい諸国巡業の旅を続けた後、即身仏となったのだとか。参拝待ちの列ができていたので、僅かな時間でしたが、子どもたちは行人様に思いをはせ、何かを感じとったことと思います。
新栄山を下った辺りで、迎えに来てくれた車に乗り、十数分でセンターに帰りました。疲れた体に鞭打って3時間余り歩いた行きの道中を振り返り、「車って、速いね。便利だね。」と言う子も。
夜には行人様奉納大煙火大会が行われるということで、いつもより早めに夕食を食べ、車で新野へ行き、皆で花火を見ました。大きな花火が打ちあがるたびに、歓声をあげていた学園生たち!長袖・長ズボンで出かけたものの、予想以上に寒く、途中からは車の中で見ていた子たちもいました。
15/09/22