11月1日
ついに米づくりの集大成、脱穀です!
厳密には、脱穀し籾摺りした玄米をさらに精米する必要があるのですが、子どもたちが春から行ってきた一連の作業はこれで終了となります。
まず稲架(はざ)に干していた稲束の一部をセンターに運び・・・
脱穀の歴史の説明を聞いたのち、一本の稲穂からいくつのお米が実っているかを数えながら、手で籾米を外していきました。
一本の稲穂から80~140粒ほどのお米がとれました!
3~5粒の種籾から芽が出て何十本かに分蘖(ぶんげつ)し、とてつもない倍率に感動を覚えると同時に、手で脱穀をしていた頃の大変さを実感した子どもたちは、次に道具を使って作業を再開しました。
今では歴史資料館などでしか見かけることのない『千歯こき』や『足踏み脱穀機』
手で作業するよりもはるかに効率が良く、おそらくこれらが世に出た頃も子どもたちと同じように感心していた事でしょう。
脱穀すると、次は唐箕(とうみ)を使った選別の作業になります。
まずはふるいにかけて、大きなわらくずをある程度除いて・・・
上から籾を入れ、ハンドルを回して中に風を起こし、中身が詰まっているもの以外を吹き飛ばす仕組みになっている唐箕。
回すスピードが速すぎても遅すぎてもダメな、割と繊細な作業に少し手こずっている様子でした。
広げたブルーシートの上に落ちている籾も丁寧に拾い、センターに運んできた分が一旦終わりましたが、この時点で4時間近くが経過。仮に1/4が終わったとしても単純計算であと12時間近く続くことに・・・
そこで文明の利器、ハーベスターを使うことにしました。これは先ほどまで使っていた足踏み脱穀機と選別をした唐箕の機能を自動で行い、さらには自走するというまさに革命品。
田んぼに移動して、ハーベスターの到着を心待ちにしている子どもたち。
そこからは、一気に作業が加速していきます。山となっていた稲穂の束は一瞬にして脱穀・風選されていきました。
脱穀作業が無事すべて終了し、田んぼも春と同じ状態になりました!
春からの米づくりを通して、どうしてお米が今まで食べ続けられてきたか、また昔はどれほどの重労働だったのかを体感できていれば幸いです。
20/11/04