5月2日~4日
5月2日(月)のお昼頃、翌日の味噌作りに備え、材料の乾燥大豆20kgを洗いました。外倉庫前のシンクで、水をはったボールの中でザルに入れた大豆をガシャガシャ洗い、水をかえ、汚れを取り除きました。手早く洗う子もいれば、変色しているものや未成熟粒などを取り除きながら丁寧に洗う子も。
9人でかわりばんこに、きれいに洗った大豆は、外倉庫内に設置した たっぷりと水を張った樽の中へ。程なく終了しましたが、激しく洗いすぎたのか、大豆の破れた皮がどんどん浮いてきていました。翌朝まで水に浸された大豆は、吸水して膨張していました!!
3日(火)、恐らく三年後の山村留学生たちが食べることになる味噌を、40期生が仕込むことに。今、学園生たちが毎日口にしている味噌は、36期生が仕込み、37期生が天地返ししてくれたものなのです。 吸水した大豆は、形が丸から楕円形になり、乾燥時の2.5倍くらいに膨張し、樽の上の方にまできていました。その大豆を外に設置したドラム缶蒸かし機に移し、朝からどんどん薪をくべ、蒸かしていきました。昔 岩倉地区の組合で使っていたドラム缶蒸かし機は、大量の大豆を一度に蒸かせる素晴らしい道具なのですが、大豆が指で簡単につぶせるくらいの軟らかさになるまでには数時間かかります。その時間を利用し、ミーティングと昨年度仕込んだ味噌の天地返しをすることに。まず、一年前に仕込んだ味噌樽の蓋を開けると、色は薄く米麹の形がそのまま残っていました。お決まりの味見をし、今 食べている味噌も少々舐めて、食べ比べ。「しょっぱい!!」「うまいよ。」「うぇ~っ!」「意外に甘い。」と様々な感想を述べていた学園生たちでしたが、天地返しをする必要性には納得。10時すぎから作業を開始しました。
男子4人と女子5人の二組にわかれ、二台の味噌すり機をフル稼働。樽から味噌を取り出し、漏斗状の部分に入れる役、味噌すり機が動かないよう足で押さえつつ、味噌を棒で味噌すり機のスクリュー部分へ送り込む役、ハンドルを回す役、ミンチ状になって出てくる味噌をバットで受ける役などを分担し、交代しながら進めていきました。
毎度のことですが、途中、プレート(ミンチ状になって出てくる穴)に味噌が詰まり、ほとんど出てこなくなったので、いちいち作業を止めて目詰まりを解消しなければならず、大変でした。ハンドルを回すことに使った労力に対し、数か所の穴からしか味噌が出てこないという状況に、イライラする子たちも。
均一に熟成されたおいしい味噌にするために、作業を続けなければならない学園生たち。味噌をこぼしたり役割をちゃんと果たしていなかったりする子にちょっと強い口調で注意する姿もありました。先が見えない時は「疲れた~。」と言ってみたり、姦しい女子たちに男子たちが苛立ち 険悪なムードになったりした時も。それでも何とか作業を続けていき、樽の底が見えてくると、もう一踏ん張り。
子どもたちが天地返しに奮闘している間に、大豆が軟らかくなったので、正午前には薪をくべるのをやめ、少し冷ますことに。
そして、昨年度 仕込んだ二樽の味噌を全て味噌すり機にかけ終えたので、一樽に詰め直し、継続生たちで樽をひんやりとする倉庫の中へ運び、寝かすことにしました!
次に、お昼までの間、味噌作りの材料のひとつである米麹14kgを、大きなたらいの中でパラパラにするように手でほぐすことに。麹を両手の手のひらで挟み、こすり合わせるようにしていると、「なんか、手がすべすべしてきた!」「皆、手がきれいになったんじゃない?」と言い出した子たち…。 12時半、お弁当タイムと食休みに突入。
午後1時半の活動再開後は、いよいよ40期の味噌作り。午前中と同じ二組にわかれ、蒸かし大豆を味噌すり機にかけていくことに。どちらからも「熱っ!!」と叫ぶ声が…。役割を交代しながら、どんどん大豆をつぶしていきます。味見と称して、大豆を自分の口の中へ入れていく子たちも!! 味噌よりも、蒸かし大豆だけを味噌すり機にかける方が、プレート(穴)に詰まることなくスムーズに出てくるので捗っていましたが、ハンドルはかなり重たく、ハンドルを回す子はばてていました。プレート(穴)から、挽き肉の様にニョロニョロ出てくる大豆の様子が面白く、それが溜まったものをパスタや麺のようだと思って見ていた子たちも。どちらのグループも味噌すり機に次々と大豆を入れ、頑張ってハンドルを回し、つぶした大豆を受けるという連係プレーを続けていました。基本的には午前から同じ作業をし続けていたので、飽きていた子も多かったのですが、やる気を出してさくさく進め、一時間も経たないうちに全ての大豆をすりつぶし終えました! すりつぶした大豆は、粗熱をとるために、倉庫の中に準備した台の上に広げておきました。
次の工程に移る前に、使ったものや味噌すり機の片づけ。進んで洗う子と、そうでない子が…。この段階で、午後3時前。次は“塩きり麹”作り。子どもたちがパラパラにした14kgの米麹と7.6kgの塩を大きなたらいで混ぜるのですが、子どもたちが片づけをしている間に指導員が進めておきました。
片づけが一段落したら、粗熱がとれたすりつぶし大豆と塩きり麹を攪拌する工程へ。台を囲み、シートの上で、麹は高価なのでこぼさないよう慎重に、かつ、均一になるように混ぜなければなりません。大量のすりつぶし大豆と塩きり麹をしっかり混ぜ合わせるには、とても力が必要。その重さににっちもさっちもいかず、小さい子は表面を触っているだけになってしまうので、場所替えをしながら進めることに。砂場遊びのように、山を作ったりトンネルを掘ったりし始める子もいれば、材料を下から持ち上げたり向こう側へやったり手前へ寄せたりと、一生懸命手を動かし続ける子もいました。「手に塩がしみて痛い…。」「手を洗いたい!」と泣き言を言ったり顔をしかめたり、塩がしみて痛い方の手は使わず片手で作業をしたりする子たちもいましたが、皆でカバーし合いながら、できるだけ均質になるよう丹精込めて混ぜ合わせ続けました。
いよいよ味噌作りも大詰めです! 攪拌した大豆・米麹・塩をソフトボールくらいの大きさに、空気を抜きながら丸めます。先ほどまでの作業の大変さを忘れるほど、丸めたものに目や鼻や口をつけて遊んでみたり、手と手でキャッチボールしたりしながら、楽しんでいた子どもたち。しかし、ソフトボールくらいの大きさにという指示があったものの、丸めた大きさはそれぞれ違っていました…。
それから、ビニール袋を敷いた二つの樽の中に、丸めたものを思い切り叩きつけるように詰めていくことに。これも空気を抜くため。
二つの樽に同じように仕込みたいので、学園生たちは同じくらいの大きさのものを二つ 手に取り、一樽め・二樽めと一つずつ投げ入れていきました。
これ見よがしに大きく振りかぶったり、バシッと大きな音をたてたりしながら、投げ込む子もいましたが、調子に乗りすぎて、握りつぶしてしまったり樽から外してしまったりも…。
ある程度詰められたら、かたさを調整するために大豆の煮汁(あめ)を加え、樽の底の方から混ぜる必要があります。中学生女子二名が、その大変な重労働を進んで引き受け、上腕まで味噌まみれになりながら、頑張っていました!!
二樽とも同じくらいのかたさになるように、材料とあめを加えて底の方から混ぜ、全て樽に詰め終わったので、表面を均して塩で覆い、中蓋をしました。
力を合わせて、重い味噌樽を隣の倉庫前へ運びます。
最後に、適量の重石を載せ、蓋をしました。
重石の分だけ更に重くなった味噌樽二つを、冷暗所である倉庫の中へ力を合わせて運びました。午前中に天地返しをして、詰め直された39期の味噌樽の横に、40期の味噌樽二つも並びました! この倉庫の中で、味噌は熟成していきます。
作業に使ったものを手分けして片づけ、掃除を終えると、午後5時前でした。皆、よく働いた一日でした! 日本人の食生活に欠かせない味噌がどのように作られるのか体験し、先人の知恵や工夫を知ることができました。また、協力することの大切さや修園生への感謝の気持ちをもつこともできた様。
4日(水)の夜、味噌樽に被せるカバー作りをしました。二樽に仕込んだので、二枚の紙に“40期”とか“作った日”、材料と分量、それぞれの名前や未来の山留生へのメッセージを熱心に書きました!!
40期生が仕込んだ味噌は、一年後に天地返しをし、ふた夏越したら食べ頃になる予定です。
22/05/13