10月29日
稲刈りから3週間ほどが経ち、脱穀の日を迎えました。今年は稲刈り後に雨が降らず、稲架に架けた稲束は十分すぎるくらいに乾いていました。
まず、4段稲架の一番上段に架けてあった稲束すべてを田んぼよりみんなで留学センターの倉庫前まで運びました。そして、各自その中から1本稲を選びお米が何粒実ったか籾を数えてみました。その結果、平均して約100粒ほどの籾が付いていることが判明。4~5本ずつ植えた苗が分けつして一株当たり20本ほどに増えていたので一株に約2000粒ほどの籾が付いていることになります。お茶わん1杯のご飯には何粒のお米が入っているのでしょうか…。
その後、午前中は千歯扱きや足踏み式脱穀機や唐箕といった昔の道具を使って脱穀や選別をしました。
現在では社会科の教科書や資料館でしか目にしなくなった道具ですがいろいろな方から寄贈していただいた物が留学センターに保管してあり、今もなお現役で働いてくれます。
千歯扱きや足踏み式脱穀機は一度にまとめて脱穀しようとするとうまくいきません。稲束を広げてから千歯扱きに通したり、足踏み式脱穀機に入れたりするとうまくいきます。そのコツを覚えるまでは大変でしたが、慣れてくると作業スピードが上がりました。
千歯扱きや足踏み式脱穀機で脱穀した籾にはわらくずが多く混じっています。それをふるいにかけて大きなわらくずを取り除きました。
唐箕は一定のスピードでハンドルを回しながら細かいわらくずの混じった籾を少しずつ入れてわらくずだけを風の力で飛ばす道具です。単純な構造なのに素晴らしい働きをする唐箕を興味津々に子どもたちは見ていました。
午前中いっぱいをかけて作業しましたが脱穀できたのは4段稲架の一番上段に架けてあった稲束のみでした。すなわち残り4分の3の稲束は田んぼの稲架に架かって残っていることになります。全部の稲束を昔の道具を使って手作業で脱穀することは難しいので午後からはハーベスター(動力式脱穀機)を使って作業しました。ハーベスターは足踏み式脱穀機と唐箕が一緒になったような機械です。1時間ほどで午前中の3倍の量の稲束を脱穀し終えてしまいました。その速さに子どもたちは驚きを隠せませんでした。
ただし、ハーベスターも完ぺきではありません。脱穀しきれなかった籾が稲束に残ります。学園生はそれらをひと束ずつチェックしてハーベスターに通し直したり、手で脱穀したりして一粒も無駄にしないようにしました。
最後に稲架をばらして片づけたり、脱穀し終わったわらを束ねて留学センターまで運んだりして脱穀の活動は終了しました。17時を過ぎて辺りは薄暗くなっていました。
千歯扱きが発明されたのが江戸の元禄時代、足踏み式脱穀機が発明されたのが明治時代、ハーベスターの様な動力式脱穀機が普及したのが昭和40年代と言われています。今回体験して学園生も先人の方々の苦労が少しは分かったのではないかと思います。お米を無駄にしたり、粗末に扱ったりすると「目がつぶれる」と言われますが、この苦労を知ってこそ現実味があるのではないかと思います。
22/11/04