9月18日
9月18日(日)は、売木村の隣り 阿南町新野の新栄山に安置されている『即身仏』を訪ねることに。ひとことで言えば、歩く活動です。前夜にミーティングで即身仏についての知識を深め、この日の朝 服装を整え、荷物や傘を準備し、9時15分にセンターを出発! 台風の影響で雨降り予報なのは承知の上で出かけたのには、理由がありました。日本国内に現存する即身仏は十数体あり、その中の一体が新野に祀られている“行人様”で、年に2回行われる御開帳がこの日(敬老の日の前日)だったからです。しかも、火の物を断つ木食行で命を継ぎながら、厳しい諸国巡業の修行の旅を17年間も続けたという行人様は、きっと悪天候を厭わず修行をされただろうということで、雨くらいで活動を中止するわけにはいかなかったのです。
ちんたら歩いていくと、御開帳の時間内に辿り着かず 拝めなくなるので、そこそこの速さで歩きつつも、集団が縦長になりすぎないよう全体を気にしながら 場合によっては他の人たちのペースに合わせることも確認し、歩きだした学園生たち。岩倉ダムキャンプ場の前を通り、傘をさしたり閉じたりしながら、岩倉川に架かる力石橋に到達したのは10時頃。橋を通るたびに上から川を覗き込み、魚を見ていた男子もいましたが、良いペース!
長下地区に入り、県道46号阿南根羽線を売木川沿いに、川の流れと同じ方向へ歩を進めます。話に花が咲く子たちもいれば、路上で見つけた蛇の死骸や巨大なミミズ、昆虫などを観察したり、何か実が生っていると「これ、食べられる?」と聞くなど興味をもったりする子たちも。
丸畑渓谷や親子ポットホール、瀬戸の滝や日照の滝の辺りを過ぎ、村境を越えました。レインスーツは準備しているものの着用して歩くと蒸し暑いので、時折雨が降ってくると 折り畳み傘や長傘をさしていた学園生たち。それでも、天気予報は少し良い方に外れたようで、霧雨や弱い雨が短時間降っては止んだり、天気雨だったり…。ずっと傘をさして歩き続けるということはありませんでした。ほとんどの子は、売木村から歩いて出て、隣町に足を踏み入れるのは初めて。休校しましたが校舎は取り壊されることなく現在まで維持されている和合小学校日吉分校があったり、県無形民俗文化財に指定されている御鍬祭りが開催されたりする和合 日吉地区をきょろきょろしながら興味津々で歩く子たちも!
センターから8㎞あまり歩くと、11時頃、売木川に架かる日吉橋に着きました。予定より速いくらいのペースだったのと、少し青空が見えていたので、小休止。「今何時?」「もう何㎞歩いた?」「あとどれくらい?」と聞いたり、長距離を歩くため定期的にカロリーを補充するよう渡されていた行動食を摂取したり、水分補給をしたり。
目的地まではあと5㎞半ほどだと知り、順調に歩を進めていることに自信を持てた学園生たちは、気を取り直して日吉橋を渡り、巣山方面へだらだら続く上り坂にさしかかりました。皆のことを気にかける気持ちがあまりない子たちは、後ろを振り返ることなく、自分たちのペースでどんどん進んでいってしまい…。カーブが連続する山道で、先頭と最後尾があまりにも離れてしまうと、見えなくなりお互いを確認できなくなってしまうので、一番前を歩く子たちは呼び止められ、他の子たちが追いつくのを待ってから再び歩き出すことが何度かありました。
一時 雨の音で良く話し声が聞き取れないほど強い雨が降り、地面からの跳ね返りで足元がびしょ濡れになったり、靴の中に水が溜まったりしました。不快感を口にしながらも、坂道を上り続けるしかありません。そんな中、アカハライモリを見つけ、歓声をあげる子も! 正午過ぎ、踏ん張りどころの長い坂道を上りきった巣山湖の辺りに、見慣れたセンター車が! 食育指導員がお弁当のデリバリーに来てくれたのでした。大盛りのお弁当とおにぎり・お箸を受け取り、自分のリュックサックへ。少し歩き、行人堂まであと700mほどの、行人堂入口地点に至りました。
全員揃ってから、林道行人山線をてくてく。意外に長く感じる坂道もすたすた歩いていってしまう男子たちと、喋る相手をとっかえひっかえしながら歩いたり、雨に濡れた靴で歩くことに疲れ 足取りが重くなったりしていた女子たちは、随分離れてしまいました…。
センターから距離にしておよそ14km。12時30分頃、ようやく行人堂付近に辿り着き、説明看板に見入る学園生たち。行人様(今から約380年前の生まれで、本名を久保田彦左衛門という)が瑞光院の裏山にある新栄山を最後の修行の場として、山頂に穴を掘って内部に石室を作り、その中で断食死するまで読経を続け、即身仏になったとされる場所。活動前ミーティングで、即身仏とミイラは全く別なもので、同列に取り扱ったり、即身成仏した姿をミイラと呼んだりする行為は即身仏に対して大変失礼なことだと吹き込まれていたにもかかわらず、看板には“生きながら即身仏(ミイラ)に”とあったので、突っ込んでいる子もいましたが…。
それはさておき、お楽しみのランチタイム! 雨宿りしながらお弁当を食べる所がなく困っていたら、行人様奉賛会の方たちが「ここでどうぞ。」と、屋根のある小屋を使わせてくださることに。ご厚意に甘え、各自食べ始めました。たくさん歩いた後だったので凄くおいしく感じ、いつにも増してぱくぱく食べ、おにぎりや行動食も食べていた男子たち。
即身仏は厳しい修行の末に体内から脂肪や水分を落とし、腐敗雑菌の発生を防ぎ朽ちない身となり、土の中に入って断食死し、その数年後に掘り出されたものをいうのだとか。行人様は、即身仏になるために1日に食べたのは湯のみ茶碗にそば粉一杯だけで、銅の傘を被り、鉄下駄を履き、鉄の杖を手に全国を7回も歴訪しながら寺社仏閣を訪ね歩くという厳しい修行を17年間続けたそう。そんな話を念頭に、女子の一人は、行人様はこんなおいしいご飯やフライなどを食べられなかったのか…と思いながらお弁当を口にしたそう。行人様が続けた厳しい修行に比べたら、学園生たちの毎日やこの日の活動なんて生温いもの。(学園生たちは即身仏になろうとして、山村留学(という修行?)をしているわけではないので、比べる必要はないのですが…。)一日に一杯のそば粉ではないし、一食にもおかずもたくさん入ったお弁当! 行人様は凄すぎるようで、お弁当の後におにぎりやりんご丸一個も「おいしいねぇ。」と幸せそうに食べたり、しっかり食べて「今までの疲れが吹き飛んだ。」と話したりしていた女子たちでした。
13時15分、行人堂へと繋がる階段を上り、いよいよ行人様とのご対面! 300年以上経ったとは思えないお姿で、今も生きているかのように座っていらっしゃる行人様を拝む学園生たち。怪力で背丈が6尺ほど(約180㎝)の大男だったと聞いていたものの、実際に見てみると小さくて驚いていた子たちもいました。見る前は怖いなと思っていたけれど、見てみるとあまり怖くなくて安心したり、迫力に圧倒されたり、思っていたより綺麗な見た目だと感じたり。見守ってくれているような優しいお顔をされていると思った子、かっこいいなと思った子、江戸時代に生きていた人がその姿のまま今、自分の目の前にいらっしゃることにとても感動していた子…。横に飾られていた鉄の杖や鉄下駄を手に取って、「こんなに重い物を持ったり履いたりして歩いていたの?」と驚きの声をあげたり、感心したりする子もいました。武士であったといわれる行人様が修行僧となったのは、ある時、山に薪を取りに行った留守中に家が火事になり、一瞬にして最愛の妻と子どもを失ったからだそう。深い悲しみに暮れ、この世の無常を感じ、神仏の力にすがることを思いついて修行僧となり、厳しい諸国巡業の旅を続けた後、即身仏となったのだとか。お供え物がおいしそうだと不謹慎なことを言う子たちもいましたが、「もっと近くで見たい。」と近寄っていく子や、拝み終わっても退席したがらず、即身仏について大人を質問攻めにするほど心を惹かれた様子の子もいました。僅かな時間でしたが、子どもたちはそのお姿をしっかりと目に焼き付け、行人様に思いをはせ、何かを感じとったことでしょう。新型コロナウイルス感染症拡大防止対策が困難なため、行人様が鉄下駄を履いて修行したことに因み 両足4㎏の鉄下駄で走る“行者健脚大会”や、奉納煙火大会やイベントは中止となりましたが、今秋の御開帳は予定通り実施され、地元の人々だけでなく、遠方からも訪れていました。継続生たちも初めて、即身仏を拝むことができたのでした!
13時半過ぎ、林道行人山線を下り、新野方面へ。2㎞ほど下り坂を下り、右折し、数百メートル歩くと行人様が最後に身を寄せたという瑞光院の門前に。荘厳なお寺を見上げ、感嘆の声をあげたり、室町時代に伊勢から新野に移住して土着し 曹洞宗の禅寺(瑞光院)を創建したという関氏の大きなお墓を目にし、驚いたり、池を優雅に泳ぐ鯉を眺めたり。
相変わらずどんどん進んでいく男子たちに、追いつかない女子たちでしたが、新野の町並みを通り抜け、国道418号とぶつかる所で一旦 集まって小休止。行人堂から約4㎞歩いてきたことになり、この先8㎞あまり歩くことになるので、まだ行動食が残っていた子たちがほとんどだったけれど、追加でキャラメルを2つもらい、カロリーチャージ! 元気が出た様子。
気持ちを新たに売木トンネルに向かって、長く続く上り坂を歩いていると、また傘のお世話になることに。阿南町の病院に行く時などに、車に乗ってでしか通ったことのない道を自分の足で歩きます。車でビューンと移動するとあっという間だけれど、意外に長い上りに辟易し、とぼとぼ歩きになっていた子たちもいました。
翻って、一貫してハイペースで、全く 後ろを振り向いて皆の位置を確認することなく、勝手に先先行ってしまう男子が2人。健脚なのか、歩き始めるとどんどんペースをあげて最後尾から見えないくらいの所まで離れていってしまい…。各ポイントでは全員を待つよう言われていたので、村境の売木トンネル入り口では一応皆が追いつくのを待ち、1㎞ほどのトンネルの中だけが唯一全員まとまって一列で歩いた所となりました。ほとんどの子は1㎞あまりあるトンネルを歩いて通り抜けることが初めてで、女子たちは暗くて怖いなぁと思いながら静かに歩いていましたが、男子たちは車が通る度にもの凄い音が響くのに合わせ、悲鳴や奇声をあげて喜んでいました。トンネルを抜けると、前日 ヤギの冬のえさ集めをした場所ら辺に出て、見慣れた売木村の景色が目に入ってきました! 国道ではなく旧道を村中心部に向かい下っていくことにしましたが、件の男子2人はまた皆を引き離すようにちょこちょこ歩き、一向に皆と合わせるとか、一緒に歩こうという気持ちはないようでした。馴染み深い小中学校付近の交差点でも後ろを待たず、すたすたと行ってしまい…。
あとは基本的には歩き慣れた通学路(国道沿い)を通ってセンターまで戻ることにしましたが、久助橋が新しくなる前の道を歩いて川を覗き込んだり、新久助橋のたもとで国道にぶつかる所まで県道を歩いてみたりする子たちもいました。雨も降ったり止んだりで、傘をさしたり閉じたりと忙しない感じで歩きました。先頭と最後尾がかなり離れてしまったので、センターまで2㎞強の地点で全員合流するために、最後の休憩。行動食のお饅頭やあめを大切にとっておいた子たちは、この時とばかりに口に入れたり、「水、ちょっとしか飲んでない。」と言っては水分補給をしたり。
再び歩き始めると、センターに着くまで傘をさしっぱなしでした。毎日歩いている通学路なので「あと何㎞?」と聞く子はおらず、だいたい2~3人ずつにわかれておしゃべりしながらセンターを目指す形に。速い歩調の子たち、快調に歩を進める子たちもいれば、行人様を思えば何のその 自分に喝を入れ歩いていた子、長い距離を歩いて足が痛くなりゆっくりと進む子たちもいました。
やはり、かなり縦長の集団になり、一番後ろを歩いていた子たちがセンターに辿り着いたのが16時25分。随分前に着いていた子たちも全員の到着を待ち、記念撮影。予報通り雨に降られましたが、レインスーツを着用するほどではなく、アップダウンの激しい約26㎞の道のりを皆 踏破することができました! 初めて長い距離を歩いたという子たちも、最後までしっかりと歩けてよかったとか、体力がついていることを実感したとか、とても達成感があったとの感想。それぞれに心身の成長を感じとり、自信を深めることができた活動となりました!
22/09/26